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2019.12.25
お茶の水校

「駿河台」ってなんの台?の話 ~ 御茶ノ水風土記⑪

こんにちわ
アクセスジョブお茶の水校です。
 
 
お茶の水校の住所にもある「駿河台」。
 
地名にはほとんどの場合、由来があるものですが
この「駿河台」にも由緒正しき(?)由来があります。
 
 
駿河台の由来は、JR御茶ノ水駅前の交番そばの案内に記されています。
 

以下は、その案内からの抜粋です。

 
“高台である「駿河台」は元来、本郷・湯島台と地続きで、
その南端に位置し、「神田山」と呼ばれていました。
江戸に幕府を開いた徳川家康は、新たな町づくりのため、この神田山を切り崩し、
江戸城の南に広がる日比谷入江(現在の日比谷公園、新橋周辺)を埋め立てました。
しかし、埋め立てによって、それまで海に流れ込んでいた平川(神田川のもとになった川)の流れがとどこおり、
下流で洪水が頻発するようになりました。
そこで現在の飯田橋付近から隅田川まで、分流としての水路を確保し、
あわせて江戸城の外堀の役目も果たす「神田川」が開削されたのです。
こうしてこの界隈は、本郷・湯島台から切り離され、現在の駿河台が形成されました。
さて、家康が駿府で没した後、家康付を解かれ、
駿河から帰ってきた旗本(駿河衆)たちが、
江戸城に近く富士山が望めるこの地に多く屋敷を構えました。
駿河衆が住んでいたことや駿河国の富士山が見えたことなどから、
この地は駿河台と呼ばれるようになり、多くの武家屋敷が立ち並ぶ地域となりました。”

 
そちらには現在(平成15年)の地図と安政三年の地図もありました。
赤い印がアクセスジョブお茶の水校です。

 
 
 
これだとどこがどこだかわかりませんが・・・。
安政の時代と言えば、1854年が元年です。
 
1853年に黒船来航、1855年は安政江戸地震
当時の有名人の筆頭は『遠山 金四郎1793年〜1855年(寛政5年〜安政2年)61才』
1868年 が明治元年ですから、時代劇の世界だったのでしょう。
 
それにしてもかなりたくさんの家々が立ち並んでいたようですね。
 
 
歴史ある町、お茶の水をあなたも散策してみませんか?

 

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