今日は小学校の春休み中の登校日だったようです。
入学式の準備など責任のある仕事を任される6年生たちだったようです。
高学年らしい小学生が朝登校している姿を見ました。
高学年になると並んで登校しているその会話は、相手を思いやったやりとりだなあと
感心します。ふたりともマスクの下の笑顔が想像できました。
そしてもうすぐ入学式です。
低学年のこどもたちの会話は思ったことをそのまま口にする素直なものであることが
多いようです。素直に感じたままを言葉にしていて、それは微笑ましい場面を見せてくれます。
それに対してこどもたちが「なにそれー!」「へんなのー!」と笑ったりすることもあります。
反応する側も素直です。
さて、大人の会話では、微笑ましい場面ではすまされないことがあります。
なぜなら大人の人間関係においては、それまでの経験値からお互いを尊重し
配慮し合うことができることが前提として期待されるからです。
そこに気がつかないで思ったままを口してしまうとそれは「無神経な人」であることを
周囲に露呈することになります。
そして大人の社会では無神経な人だ、と周囲が思っても子供達のように素直に「なにそれ」
「へんなの」といってはもらえません。
周囲が「あの人は無神経な人だ」という情報を蓄積して、表面上は変わりなくしつつ、
心は離れていきます。
無神経な人は気がついていないことがほとんどです。
お互いに配慮ができる大人の社会では、むしろ怖いことに表面上は何もかわらず
無神経な人という評価によって、その人に対する応対の角度をすこしずつ浅くしたり、
距離をとったり関係性を変化させていくのです。
そうやって周囲は無神経な人の言葉から身を守っていきます。
そして無神経な人は孤立してしまいます、
気がつけるかどうかは、常に自分への問いかけを真摯にできるかどうかにあります。
自分に対する周囲の応対を思い出せますか?
自分が無神経に人を評価したり、決めつけたりしなかったでしょうか。
それぞれが問いかけて、無神経さと向き合えば、
明日からの人間関係を大事にすることができると思います。