事業所からのお知らせ

2021.03.11
名古屋駅前校

3.11 自戒を込めて

こんにちは! アクセスジョブ名古屋駅前です(^^ ♪

今日もブログを読んでいただき、ありがとうございます。

 

2011年3月11日(金)午後2時46分。

筆者は、名鉄甚目寺駅の上り線ホームで名古屋方面行きの電車を待っていました。

ベンチに座っていたにも関わらず、目眩を感じたような気がしました。

大きな音がしたわけではありませんが、架線が大きく揺れる光景を見ながら、

(あっ、地震!?)と、焦ったことを記憶しています。

夜のニュース番組も、黙ったまま息をのむように見入っていたと思います。

 

その16年ほど前の1995年1月17日(火)午前5時46分。

阪神・淡路大震災が発生しましたが、地震発生の6時間前、

筆者は新神戸駅の下り線ホームで名古屋行きの〝のぞみ〟を待っていました。

連休を利用して神戸に遊びに行き、17日の始発で名古屋に戻るはずでしたが、

急遽予定を繰り上げて16日の最終列車に乗ったことを覚えています。

朝のニュースで地震のことを知り、やはり背筋が凍る思いをしました。

神戸の異人館で、ガラス製の希少な器などを眺めていたときに、案内係の方が

「この辺は大きな地震が少ないから、こうして陳列して、

みなさんに手に取って見ていただけるんですよ」と笑顔で語ってくれたことを

ニュースを見て思い出し、(あの人、無事だったかな?)と気になってしまいました。

 

2つの大きな自然災害を目の当たりにして、

その後の人生観が大きく変わった人は少なくないでしょう。

筆者にとって、〝慮る〟という言葉の意味を改めて問い直すきっかけになりました。

というよりも、〝慮る〟ことしかできない歯がゆさ、無力さを感じました。

阪神・淡路大震災の空からの火災の映像や

東日本大震災の高台からの津波の映像などを見ながら、

「もっと生きたい」

「まだ、やりたいことがたくさんあるのに」

そんなことを考える余裕もなく亡くなっていった方々の無念さを思うと、

今でも悲しくなってしまいます。

半面、復興に力を注いできた人たちの姿を見ると、

〝悲しみ〟ではなく〝元気〟や〝勇気〟をもらえることも事実です。

 

今、あえて〝慮る〟ことは、

「今日、自分が〝のほほん〟と過ごした時間は、

あのとき亡くなった方々が〝生きたい〟と思っていた時間だ」ということ。

一日たりとも無為に過ごしてはならない、と改めて噛みしめてしまいます。

 

夢を叶えるために、日々、就労準備に取り組んでいるみなさんも、

就労準備に取り組むみなさんを支援するわたしたちも、

「いま、自分にできることに全力を尽くしているか」

と自問自答しながら生きていくことが大切ですね。