あの日から10年がたちました。
当時の職場だった大学でその日を迎えました。
大きな揺れのあと、騒然とする病院内から、いったん外にでた私たちは、
すぐまたきた再度の大きな揺れに
立派な背の高い病棟が、信じられないくらいしなって折れまがり揺れているのを
信じられない気持ちで茫然とみていました。
その日は職場で過ごし、夜に病棟のテレビで実家のある仙台の空港が全部流されている
光景をみて言葉を失いました。被災が大きく津波がきている地域に
実家の区域が入っているのを見て、繰り返し実家に電話をしたことを思い出します。
また、こどもたちもまだ小学校と中学校でしたので、各学校も全く連絡が取れず
どこをどう整理して考えて良いのかわからなくなって一晩過ごしました。
おかげさまで実家も家族も無事でした。
前日は、その大学の合格発表の日でした。とてもよく晴れていました。
構内は発表後に悲喜交交でした。
それでもそれをみていた私は、若い方々の人生がそれぞれにこれから大きな可能性に
満ちていると感じ、「春だなあ」と思っていました。
その翌日の同じくらいの時間に日本は一変しました。
あの日から10年。それぞれの10年がありました。
乗り超える力をつけてきたと思います。
力が必要な人には力のある私たちが力を尽くしたいと思います。
この震災で亡くなられた多くの命のご冥福をお祈りいたします。
残されている私たちには、日々できること、やるべきことがあります。
それを誠実に行っていくことしかできません。
それしかできないからこそ、一生懸命やっていきたいと思います。