コラム「障がい」と「仕事」

対話の中で見つかること

2023.10.23

皆さんこんにちは。
前回までは、障がい者が雇用の現状、当事者が就労に向けて必要な事にはスキルの習得などの技術的なことと、気持ちの問題である前向きに向かう力、両面を見てきました。

これは支援者の悩みでもあると思うのですが、支援が必要な方が前向きに向かう力を自然と生み出すには、どのようにかかわればよいのでしょうか。

語り合う授業「みんなの大学校」

私は発達心理学を専門としているのですが、重度の身体障がいや知的障がいを抱えた方や精神障がいや発達障がいの診断を受けた方など、支援を必要とする方たちに、それぞれの条件に合った形でいろんな種類の学びの場を提供する「みんなの大学校」でzoomによる遠隔授業を担当しています。
私が担当したのは「発達心理学」「心のしくみ」「ディスコミュニケーション論」「障がい者支援論」「対話と支援」といった内容です。

参照元:一般社団法人みんなの大学校

対話型の授業の中で

その中の「対話と支援」という授業の中では、私自身受講生の皆さんから学ぶことを続けているうちに、ごく自然にむしろ受講生とのやりとり中心の授業に変わっていきました。

そこでは私はとりあえずの話題提供者の役割くらいで、あとはみなさんが話したいと思ったことを自由に話し合う感じになっていくのですが、そうなってくると1時間の授業では足りなくなり、今では授業をいったん終了した後、希望者が残ってさらに1時間、おひるを食べながら自由に話し合うようになりました。

また、最近は就労移行支援事業所アクセスジョブの支援スタッフや利用者の方も少しずつ参加してくださるようになり、そうなると支援者と被支援者が、そういう「支援=被支援」の枠組みにとらわれることなく、言ってみれば一人の人間同士としてお互いの悩みや相手への疑問を自由に語り合う場にもなっていきます。

人と人として語り合い、理解する

時間的な制約や体調の問題などいろいろな原因で、実際に常に授業に参加できる方の数は限られているのですが、でもむしろそういう少人数の方が、「障がいVS.健常」みたいな枠を超えて、人と人として語り合い、理解し合うには好都合なことが多い気がします。

そして支援とは何かの技術の問題であるより、まずは人と人とのコミュニケーションの問題で、「支援技術」が本当に障がい者を支えるものとして生きるか否かはそれにかかっていると私は思っているので、その意味ではこういう場は支援にとって欠かせないものではないかとも思いますし、実際こんな感想もいただいています。

「対話と支援の講義の最終回を迎えるにあたり、まずこのような対話の場が存在することをうれしく思います。それぞれ各人に考え方があり、そのことを聞くことができる機会を持てました。講義では自分の意見を述べつつ他人を批判しないという基本があればこそと思います・・・」

この方は精神障がいの診断を受けられた方で、やはり高校時代以降、20年ぐらいも引きこもりを続けられてきた方です。

今は授業にも熱心に参加され、ご自分の引きこもり経験などを活かしながら社会的に活躍される道をいろいろと模索し始められています。

感想をご紹介したお二人について前回ご紹介した方は、自分を見つめなおしながら、改めてほかの人とのつながりについて積極的に考え始められたようですし、この方は実際に外に出て活動を始めています。

前向きな姿勢を生み出す共通点

お二人とも「引きこもり」を経験しつつ、それぞれの状態から「次」へと歩みを始められているわけですが、何がそのような前向きな姿勢を生む足場となっているかについて、ひとつの共通点があると私は感じています。
それは「しっかりと自分自身の苦しさ、悩みを聞いてもらえる場があった」という経験をお二人が持っていることです。

そのような関係を作られたのは「みんなの大学校」の引地達也学長であり、また丁寧に対応してくださった精神科医です。

参照元:引地達也学長「みんなの大学校」

引地さんが年単位でじっくりと話を聞き続けることで、それまでの「引きこもり」状態から、改めて人とかかわる姿勢を強められ、やがてみんなの大学校の授業にも参加されるようになった方を、私はほかにも何人か知っています。

それはも薬を飲んだから前向きになれたとか、そういう単純な話ではありません。

心の痛みを理解し、支えること

ではなぜしっかりと聞いてもらえることがそういう力を生むのでしょうか。
人は自分の痛みには当然気が付きやすいですが、人の痛みに対してはなかなか気づかなかいものです。

仮に相手が体に痛々しい傷を負っていたりするのを見たりすれば、「痛そう」とこちらの身がすくむような感じで相手の痛みに共感できることもありますが、直接は目に見えないとか、あるいは隠されていたり表現されなかったりする心の痛みについては、なかなか感じ取れず、本当に鈍感になってしまいがちです。

それでもそういう心の痛みについても、もし自分自身が同じような痛みを経験していれば、時には相手の状況を見てその痛みを切実に感じ取れることはあります。
たとえば震災で家族を突然失った方たちが、お互いにその体験を語り合うことで支え合うといったことが起こります。

ある程度似た体験が共有されていることで、一人で孤立して苦しむのではなく、人とのつながりを感じて支えられるわけです。

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筆者プロフィール

発達支援研究所所長 山本 登志哉

障がい者は「不完全な人」ではなく、「少数派の特性を持つ人」。

共生は多数派に合わせることではなく、特性を活かして一緒に生きること。
そこに生まれる困難を調整するのが支援。当事者と共にそんな模索を続けます。

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📢次回は10/30(月)「人を前向きな気持ちへ変化させること」について掲載予定です

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