コラム「障がい」と「仕事」
【当事者の視点で支援を考える】
第5章 「わかる」と「わからない」の微妙な関係の中で支援すること
2024.02.19
発達障がい自閉系の方とはものの見方にズレがあった
第4章では発達障がいの一つである自閉症当事者の森本さんからの※逆SST問題に挑戦しました。
みなさまにも実践していただき、答えが出せない場面の方が多かったのではないかと思います。
それは、自閉系の方の感じ方と定型と言われる人たちの「ものの感じ方にズレがあるから」を体験していただいたことになります。
回答者の感想にもあったように、森本さんの答えと解説をきくと、まさに「目からウロコ」です。
「この「感情」と「表現」のズレがどうして生まれるのか、どうやったらそのズレを理解しながら調整できるのか。わからないながらも支援するにはどうしたらいいのでしょう。
※逆SSTとは 自閉症者が定型発達者を理解しなければならないように、実は定型発達者も自閉症者をもっと理解する必要がある、という発想で行われるのがSSTの逆方向、つまり逆SST(Social Skills Training- reversed)という発想の事。
「おかしい!」と感じたら「ズレ」の可能性に気を付けることが必要に
支援者は、前述のように、発達障がいの一つである自閉系の方の感じ方と定型と言われる人たちの「ものの感じ方にズレがある」ことを理解したうえで、「おかしい!」と感じたら「ズレ」の可能性に気を付けることが必要となってきます。
支援は相手が何に、どうして困っているのかがわからないとうまくいきません。
視覚障がいの方でも特に生まれたときから見えない方は、視覚に頼ることなく上手に行動されます。
私が直接お話を聞いた視覚障がいのある方は、たとえばホテルの自分の部屋に行き、ドアを開けたとたんにその部屋のどこにベッドがあるかなど、部屋のおおよその様子がすぐにわかるそうです。
すごく不思議な感じがしますが、ドアを開ける音が部屋に反響して返ってくるのを聞いて、その音の様子からどこに柔らかいものや硬いものがあるのかがわかるということのようでした。
同様に道を歩いていても自分の靴音の反響を聞いて、前に障害物があればわかるんだそうです。
だからすっとそれをよけることができて、見ている人は「この人は本当に目が見えないんだろうか」と疑ってしまうこともあるとのこと。
こんな話もあります。
生まれながら「明るさ」しかわからない視覚障がいの河野泰弘さんという方から伺った話です。
メールでやり取りをしていた時です。
「障がい者」という枠に縛られずにあちこち飛び回って活躍されている河野さんが、ある時友達と旅行に行った話を書いてこられました。
そして琵琶湖のそばを通ったそうなのですが、その時「友達と一緒に琵琶湖を見ました」といったことを書かれていたんですね。
私は最初、ああそうなのか、と読み進めたのですが、ふと気が付くと「見た」ってどういうこと❓とびっくりしました。 だって河野さんは物を見るということはできないはずなのですから。
視覚障がいの方の見るとは
視覚障がいをお持ちの河野さんは、同じように「家族と一緒にテレビを見た」、ということも書いてこられますがこれも驚きです。
でも驚くのはしばらくしてからで、読んだその時はとても自然に読んでしまうんですね。 それでわかった気になってしまうのがとても不思議でした。
もちろん河野さんは別にごまかして「見る」という言葉を使っているわけではなく、ご自身がとても自然にその体験を表す言葉としてそれを使っているわけです。
よく考えてみるとその言葉はたぶん「あることに注意を向けた」ということだと考えるとわかった気になりました。
私たちもたとえば「塀の向こう側で犬が鳴くのを友達と一緒に聞いた」と言えますよね。
その時は別に目で見てるわけじゃないけど、友達と一緒にその「犬」に注意を向けて、共有しているわけです。
そんな感じで理解すればそれが河野さんにとっての「見る」なんだということで、なんかわかった気持ちになります。
「わかる」と「わからない」の微妙な関係
視覚障がいの河本さんが注意を向けて、友達と共有していることを「見る」と表現すること。それが河野さんにとっての「見る」なんだということで、こちらがなんかわかった気持ちになること。
このような、わかるとわからない微妙な関係について触れました。
目が見えない人と目が見える人、心理学的に言えば視覚的な感覚情報を利用できる人と利用できない人では体験している世界に違いがあります。
だから完全に同じ世界を共有しているわけじゃないんだけど、でも通じ合えるところもある。これが言葉の世界の面白いところです。
同時にその「通じ合える」感じが誤解を生むときもあるわけですね。
それが前回書いた森本さんなど自閉的な方の感情表現の違いだったりします。
表情も一種の「言葉」の働きをしますので、その「言葉」が違う意味を持っていたら、誤解が生まれてしまうわけです。
これが、ディスコミュニケーション 「理解できるが気づけない」ということなのです。
表情に限らず、自閉と定型の間ではそういう誤解がとてもよく起こりやすいと私は考えています。
誤解があるのに、それに気づかないと、相手が嘘をついているように感じてしまうこともあります。
あるいはいい加減なことを言っていると感じたり。 そうすると相手に対する信頼もできなくなり、関係が悪化していきます。
これは自閉的な人が定型に対しても感じるようです。そういう理解のズレ、誤解によってお互いに信頼できなくなるという悲しいことも起こるわけです。
これもまたディスコミュニケーションの典型的な展開の一つになります。
というわけで、支援の時、相手の人が「おかしいことをしている(言っている)」と感じたとき、まずはそこに感じ方や考え方のズレがあるのではないか、と一度考えてみることが大事になります。
私の連載はここでいったんお休みして、次回以降また改めて「わかる」と「わからない」の微妙な関係の中で支援について考えてみたいと思います。
筆者プロフィール
発達支援研究所所長 山本 登志哉
障がい者は「不完全な人」ではなく「少数派の特性を持つ人」。
共生は多数派に合わせることではなく、特性を活かして一緒に生きること。
そこに生まれる困難を調整するのが支援。
当事者と共にそんな模索を続けます。
📢次回は2/26(月)【障がい者雇用で就職】ストレスコントロール≠ストレス耐性 について掲載予定です
毎週、お会いできることを楽しみにしています。
.
.就労移行支援事業所「アクセスジョブ」ではいつでも見学や無料体験を受け付けています。
ぜひお気軽にご連絡・ご相談ください。お待ちしております。